子供の夢は誰が決めるか?

教育
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いよいよ梅雨ですね。。。

この時期になると…洗濯物が乾かなくて大変です。。。

部屋干し用洗剤ってあるじゃないですか?

あれって、普通の洗剤よりも、消臭効果が高かったり、除菌効果が高かったりするやん。

逆に…部屋干し用洗剤が、普通の洗剤に劣っているとこって、あるんですかね?

あんまり聞かないですよね。

ちょっと色落ちしやすくらいやったら、いっそ全部の洗剤を部屋干し用にしたらよくない?w

みなさん。こんばんは。

さて、今回は『子供の夢は誰が決めるか』をテーマに話してみようと思います。

あなたの夢は誰が決めましたか?

あなた自身が決めてきましたか?

子供の夢は誰が決めますか?

ほとんどの方は、子供自身が決めれば良いと仰ると思います。

でも、果たして現実はどうでしょう。

本当に子供自身が決めていますか?

無意識に何かを子供に押し付けていませんか?

今日はそんな『誰が夢を決めるのか』のお話です。

子供はどうやって、夢を決めるのか?

子供の世界は、狭いものです。

特に小学生の頃なんかは、親がいないと校区から出てはいけないなどの規律がありますからね。

校区外禁止ってありましたよね笑

終わりの会で、まじめな女子がアホな男子を指して、校区外に遊びに出かけたことを公開処刑するみたいなw

まぁ、子供の安全を守るためには、必要なんだと思います。

子供たちは、自分が過ごす環境のなかで、好きなもの、カッコいいと感じたものに心惹かれ、次第に夢へと変換していくのだと思います。

それは、親の影響だったり、習い事だったり、地元が力を入れているスポーツだったり、テレビだったり、最近はYouTubeか。

それらのことから、夢を見つけるんですね。

となると…見たもの、聞いたもの、体験したものの中からしか『夢』は生まれないということです。

子供の可能性を広げてやりたいと思うのなら、色んな場所に行って、色んなものを見せて、色んなものを聞かせて、色んなものを体験させることをしなければ、可能性は広がらないのです。

夢は、一つじゃない

私は、高校時代ラグビー部に所属していました。

地元では、なんでラグビー?とよく聞かれますw

なぜなら、私が育った兵庫県では、大阪府のようにラグビーが盛んな街ではなかったからです。

今でこそワールドカップで日本も盛り上がるようになりましたが、当時はまだプロ化も進んでいない時代で、年末にテレビで社会人ラグビーや大学ラグビーが放映される程度でしたから、当然と言えば当然です。

それでもラグビー選手になりたいと夢をもっていました。

他にも、色々とあります。

オトンがやっていた野球を見て、野球選手になりたいと思ったこともあるし、

オトンに連れて行ってもらった、読売クラブ時代のラモスとカズが、カッコよくてサッカー選手に憧れたこともあるし、

通ってた美容室のオーナーが、美容師はモテるって言うから美容学校に通ったりw

ホントにたくさんの夢を抱いていました。

まあ、夢を持って生きるということは、今も変わりませんがw

夢は、一つじゃなくていいんですよ。

夢の分だけ挫折があるし、挫折の分だけ新しい夢があっていいじゃないですか。

プロスポーツ選手になるためには、5歳までにどのスポーツにするか決めなければならないって話もありますが…

そんな誰が言ったかわからない話は置いておきましょうよw

あの八村塁くんだって、中学校からバスケ初めてNBAのドラフトに掛かったんですから。

親は子供の可能性を広げる

オトンは、大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)から入団テストを受けて欲しいと言われるほどの野球選手だった。

電車代がないと断った…w

物心がつく前から、球場に応援に行ってたし、休みの日はキャッチボールもしてくれた。

スタンドで観戦している私に、ネクストバッターズサークルに向かうオトンが…

『どこがええ?』と聞く。

『センター!』と答えると…

その打席に、バックスクリーンへホームランを打つようなオトンだった。

・・・・・・

・・・

めっちゃカッコよくない?笑

そんな姿見てたら、普通は野球やるよね。

甲子園目指すでしょ!プロ目指すでしょ!

でも…やらんかったな。

よく覚えてないんやけど…私は、地元の野球チームに入りたいと言ったことがあるらしい。

そして、オトンと練習を見学しに行ったんですが…結局は入らなかった。

どうも、コーチである漁師のオッサンが怖いと言って、入部をやめたらしいw

それでも、なぜか…毎日ひとりで壁にボール投げて遊んでいた記憶はある…

間違いなく、私のなかでオトンはヒーローだった。

高校を卒業し、クラブチームでラグビーをプレーすることになった時も、迷うことなく背番号『21』を選んだ。

オトンが現役時代に付けていた背番号だ。

そして、オトンがどう思っていたか聞いたことはないが、野球をやって欲しいと言われたことは一度もない。

というより、オトンもオカンも、私に対して、何かを勧めることも、反対することもなかった。

勉強せいって言われたこともあんのかな?

無いような気がするぞw

私の両親は、推奨も反対もしなかったけど、とにかくいろんなものを見せてくれたし、いろんな経験もさせてくれたことは間違いない。

そして、もう一つ、なんでもやらせてくれたけど、途中で投げ出すことだけには厳しかった。

故・平尾誠二さんに憧れた11歳

私がラグビー選手になりたいと強い憧れを持ったのには当然、理由がある。

それは、初めてラグビーの試合を自分の目で観た時です。

テレビでは、小さい頃から観ていたと思うんですが…

初めて観たのは…何の大会だったのか覚えていないw

小学生の頃、オトンと二人で国立競技場まで、神戸製鋼の試合を観に行った。

試合自体は、神戸製鋼が勝ったことくらいしか覚えていないが…

とにかく芝生の上を走る選手がカッコよくてたまらなかった。

何がって…言われるとわかんないけど…

たぶん、音なんです。

ラグビーを間近で観たことがない人には伝わらないかも知れませんが…

人と人がぶつかる音って、すごいんですよ。

人と人がぶつかる音が怖いんですけど…

それでも、恐れずに突っ込んでいく姿が、めっちゃカッコよかったんです。

これやー!って思いましたねw

それからは、毎年のように花園ラグビー場に神戸製鋼の試合を観戦しに、オカンと行ってましたね。

オカンは神戸製鋼の系列会社に勤めていたので、当時活躍していた平尾誠二さんや大八木淳史さんたちのことも良く知っていたんです。

その特権を活かしてw小学生の私は、ロッカールームに入れてもらったりして。

それでも、ラグビーをやり始めたのは…高校からです。

なんせ、明石にラグビーが出来る環境はなかったですから。

そのとき、ラグビーが出来る環境がないことを、オカンが大八木さんと話をしたようで…

大八木さんはオカンにこう言ったそうです。

『ラグビー部がないんやったら、サッカーしといたらええ。そないに変わらん』

それを聞いて、私は、中学校でサッカー部に入部しました。

高校に入って、ラグビーやりましたが…どこが変わらんねんw

結構ちゃいますよw

でも、そうやって、両親や周りの大人たちは私に環境を与えてくれたんです。

平尾さんの本が出版されれば読み漁ったし…

サインと共に『ラグビーせい!』という言葉を書いてくれた、大八木さんの著書を貰ったこともある。

それは、ラグビーが出来ない時にも、やり始めた後も、ずっとラグビーをやりたいと想い続けることができる環境を与えてくれたということなんです。

オトンの『ヤバい』教え

オトンとオカンは、サッカーにしても、ラグビーにしても、よく試合を観に来てくれた。

応援とは…ちょっと違う。

応援しに来ていたというよりは…観に来ていたという表現が合っている。

というのも…特にオトンは、他の保護者と一緒にギャーギャーと騒ぎながら(怒られるわw)応援することもなく、何か指示を出すわけでもなく。

ジッと観ているんです。

帰ってからも『あのプレーが…』というような苦言を呈することもなかったですね。

それは、決して、サッカーやラグビーのことを知らないからじゃないんです。

現に、テレビでサッカーやラグビーを観戦しているときは、なかなかシャープなヤジを飛ばしてるんですねw

あれは…なんなんでしょうかw

あれをセンスと言うんですかね…

とにかく、目の付け所がシャープなんですよw

なので、私の試合を観たあとも…

『あの時は、どう考えてたんや?』

『そしたら、こんな風に考えたら、どうなるんや?』

そんな会話をするんですね。

その質問が、『そんなこと考えたことなかったわ』の連続なんです。

これ、いま思えば『コーチング』でしょw

オトンは、コーチングなんて技術を絶対に知らないと思う。

自然にやってたってことなんですね。。。

その血が、私にも流れていると思うと…プレッシャーやなw

私が、コーチングをしっかりと学ぶ前から、なんとなく出来ていたのは…

オトンの『ヤバい』教えのおかげでしょうね。

まとめ

夢は子供自身が決めるものです。

親が何を言っても、やりたいものはやりたいし、やりたくないものを無理にやらせても上達はしません。

親が出来ることは…

  • いろんな経験をさせ、夢の選択肢を増やす
  • 『推奨』や『反対』はせず、自由に選択できる環境を与える
  • 中途半端にケツを割ることは咎める
  • やれない理由を並べる前に、やれる環境またはやれない時期を前向きに過ごすことができる環境を提供する
  • やっていることに対して、ごちゃごちゃ言わない
  • コーチングによって、解を子供が導けるよう、よく話を聞く

これぐらいじゃないかと思います。

決して、子供がやりたいことを、なんでもかんでもやらせるということではありません。

子供自身が本当にやりたい事が見つかるまで、気長に待つことも必要かも知れません。

夢って、簡単には叶わないじゃないですか。

『夢は叶う』

『努力は報われる』

ぜんぶ詭弁です。

『夢が叶わなかったというのは、それだけの努力が足らなかったということ』

これを、きちんと子供に教えてやらないとダメです。

本当のことを知らない子供は、夢を持つことを諦めます。

それでも、夢は持ち続けて欲しいし、努力はムダだと思って欲しくない。

決して、努力はムダにならないということを教えなければなりませんね。

今日は、ここまで。

では、ばいなら。

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