人には香りというものがある。
周囲に好影響を与える『香気』
周囲に悪影響を与える『悪臭』
周囲に何の影響も与えない『無臭』
人材育成やチームビルディングでは『香気を放つ』人材またはチームを構築することを目的として教えられることがほとんどです。
まぁ、そりゃそうです。
当然、そういう教育を受ける場合、どこかしらの組織に属していることが多いわけですから。
『その組織』にとって、『香気を放つ』人材またはチームを育成しようとするわけです。
それは、学校でも同じです。
学校生活において、『香気を放つ』生徒を創りたいわけです。
なぜなら…
組織を動かす側が『ラク』だからですね。
本来、『香り』というものは、嗅ぐ人によって『香気』か『悪臭』か『無臭』か判断されるものです。
フローラルの香りが『好き』な人もいれば『苦手』と感じる人もいるように。。。
所詮、『香気を放て』という教育は、組織をラクに進めたいために行うものということです。
いや。
悪いことではないんです。
同じ志を持って働く社員には、当然理解してもらわなければならないことです。
組織を円滑に進めようとすることは、決して悪いことではなく、むしろ経営陣としては重要な仕事の一つです。
私が言いたいことは…
本来、香りとは『嗅ぐ人』によって、感じ方が違うものであるという事実を見失わないように教育しなければならないということです。
事実は1つだが、真実は人の数だけあるという言葉に集約されるのではないでしょうか。
何を『正義』と考えるかで香りは変わる
安倍首相が辞任を発表しました。
その記者会見において、質問する記者のほとんどが労いの言葉を掛けなかったことに対する批判が一部で上がっています。
『持病を抱えながら、7年8ヶ月もの間、首相という激務を終える決意をした安倍首相に対して、なぜ労いの言葉を掛けられないのか。』という批判ですね。
好き嫌い、敵味方関係なく、激務を終えた首相へ労いの言葉をかけることが礼儀であるというのが『正義』なのでしょう。
この正義を持っている人からすると、労いの言葉をかけた記者は『香気』であり、そのほかは『悪臭』ということになります。
労いの言葉を掛けなかった記者が、なぜ掛けなかったのかは知りませんが…
その方たちの『正義』が…
『体調の悪い安倍総理を気遣い、少しでも早く会見を終えられるように、必要最低限の言葉で質問をしよう』だとしたら…
もし、そう考えて『労いの言葉』を割愛(必要だけど仕方なく省くこと)したとしたなら…
労いの言葉を掛けた記者が『悪臭』となってしまうわけです。
『体調が悪いんだから、座って会見させろ』
誰に対しての意見なのか分かりませんがw
そんな意見もありましたね。
座って会見をさせろという人の『正義』は、体調の悪い人を気遣うことなのです。
安倍総理は『座らせてほしい』なんて、きっと言ってないと思いますがw
あえて、立って会見を行ったことに『正義』があると考えるならば…
次の総裁、要するに首相となる人物が決定するまでは、首相として業務をするわけです。
1時間程度の会見を座って行えば、どうなるか。
そこまで体調が悪いのかと印象を与えてしまいますね。
コロナ禍や災害支援を行っている中、実際にはそんなことないのですが、総理不在という空白の時間があることを印象付けてしまいます。
そうなると、国民の不安を煽ることになりますよ。
外交に関しても、同様です。
弱みにつけ込まれる可能性も出てくるわけです。
この場合、『後任が決定する期間ぐらいは大丈夫だ』と印象付けることが『正義』ということになるわけです。
勘違いしないでくださいねw
どちらの話も、あくまで『正義』があるとしたらという『仮定』の話ですからw
事実ということではありません。
どんな景色を見ているか。
何を正義とするか。
それによって、『香気』『悪臭』『無臭』は、分かれて当然だということを知っておく必要があるということです。
幕末でもそうですよねw
薩長土肥から見た新選組は『悪臭』です。
しかしながら、新選組から見ると薩長土肥が『悪臭』なのです。
『レイシスト』にも『セクシニスト』にも正義があるんでしょう。
『アライ』の私には、一生わからない『正義』ですが…
事実は1つしかないが、真実は人の数だけあることを認めなければなりません。
『無臭』は悪か⁉
よく講習なんかでは『無臭』は『悪臭』より悪だと言わます。
『自分の意見を持たないのはズルい』ということらしいですw
なんやそれ笑
『無臭』って色んなパターンがあると思うんですよね。
『どっちもいい』『中立』『興味がない』etc…
きっと誰にでもあると思うんですよね。
私は『焼肉』と『焼鳥』どっちが好きと聞かれたら『どっちも好き』と答えますw
人によっては、『焼魚』って違う意見を出す人もいるかも知れないし、そもそも肉は食べないから興味ないという人もいるでしょう。
『意見を持たない』ことを選択する人も存在するということです。
重要なことは『考えられる』だけの知識や経験を持つこと
『無臭』とされる中で、唯一『悪』であることは『考えない』ことです。
考えるには、知識や経験が必要です。
『知らないから、考えられない』
その知識や経験が乏しいのは、仕方のないことですが…
知ろうともしないことは『悪』だと思うんですよね。
逆に言えば…知識も経験もあり、その上で『考えない』という判断することは良いと思うんです。
考えても仕方がないと『考えた』わけですから。
自分で考えることもせず、ネットなどの情報を鵜呑みにして、情報操作に操られ、あたかも自分の意見のように発言し、むやみに人を傷つける振舞いをする人っていますよね。
LGBT+の問題も同様です。
『知らない』『分からない』から仕方がないという意見が多く存在します。
人の気持ちすら分からないのかと憤りますが…
あれこそが『悪臭』ですよ。
そこに本当の『正義』は無いでしょう。
知ったふりをして、ニセモノの称賛を浴びたいだけなんです。
そして、それを煽り、自分もその波に乗ろうとする人がいることも…
悲しいことです。
意見を持たずとも、自身で考えられる人でありたい。
子供たちに胸を張って、生きられる大人でありたい。
子供たちが、自身で考えられるよう教育を行いたい。
それこそが『正義』であり、『香気』である。
私は、そう考えています。
今日は、ここまで。
では。
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