『西南の役』
先日、熊本出身の友人と飲んでいる席で『田原坂』の話になったんですが…
その友人が『西南の役』って、言うんです。
違和感を感じるのは…私だけですかね?w
いや。
何も『西南戦争』でしょ?って言いたいわけじゃないんです。
最近の教科書は、すべての戦を『〇〇の戦い』とか『〇〇戦争』っていう表記に統一したとか、してないとかw知りませんが。。。
私たちの年代が、習ってきた教科書では、それ以外にも、いろんな戦の表記がありました年代よね。
『変』『乱』『陣』『役』
色んな解釈があるようですが、私の勝手な解釈wをお伝えすると…
『変』⇒ 反乱軍の勝利により、政治的変化があった戦い
『乱』⇒ 官軍の勝利により、反乱を収めた戦い
『陣』⇒ よくわからんw
『役』⇒ 『〇〇の戦い』『〇〇戦争』と同じ使い方
ただ『役』には、もう一つの顔があると、私は勝手にw思っています。
それは『〇〇の乱』と言われる戦いで、敗れた側(要は、反乱軍側)がその戦いの話をするとき『〇〇の乱』って、自分たちで言うのはちょっと嫌ですよね。
その時に、戦いと同じ意味を持つ『役』を使うことが多いように思うんです。
例えば、西南戦争に突入する機運を高めたであろう『佐賀の乱』や『萩の乱』といった戦いも、地元に行けば『佐賀の役』『萩の役』と言います。
正義をもって、世の中を変えようとした地元の英雄たちを『反乱者』とは考えたくないとの思いから、あえて『役』という言葉を使っているんじゃないでしょうか。
資料館の名前とかも『佐賀の役』と使っていますしね。
西南戦争の話に戻りますが、この戦争って、そもそもは熊本で起こった『新風連の乱』が始まりなんじゃないかと思ってます。
熊本で起こった反乱が、福岡での『秋月の乱』を引き起こし、山口の『萩の乱』が続く。そして、翌年、鹿児島から西郷隆盛が『西南戦争』を仕掛けたという一連の流れがあるように思います。しらんけどw
この明治9年~10年にかけて、起こった戦いは、すべて『乱』とされています。
ただ一つ、『西南戦争』を除いては………
私が感じた違和感は、ココなんです。
西南戦争は、官軍である明治政府が勝利したわけだから、他の反乱と同じように『西南の乱』じゃないの?
なんで『西南戦争』だけ『西南戦争』なん?ってことなんですよ。
熊本で生まれ、育った友人が『西南の役』と呼ぶことは理解できます。
『西南戦争』を『西南の役』と言い換えても意味としては同じなので、何の問題もありません。
言い換えるというより、そもそも熊本では『西南戦争』ではなく、『西南の役』と学ぶそうですし、例によって資料館の名前も『西南の役資料館』としています。
問題は、教科書という公式見解とされる書籍で『西南の乱』ではなく、『西南戦争』としたのはなぜかです。
誰がこの呼び方を公式に決めているかは知りませんが…
というより…公式なのかどうかも知りませんがw
『西南の乱』ではなく、『西南戦争』としたのは、それだけ西郷隆盛が心惹かれる人物だったからなのでしょうか。
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
と、こういう話を生徒にすると、だいたい嫌われますwww
えっ?
始まってたんかっ!って?
ええ。もう始まってますよw
こんな教師は嫌われるあるあるwww
あなたもこのブログの冒頭を読んで感じたでしょ。
何の話やねん!ってw
これは、嫌われますよー。
私はこの手の話は、7時間しゃべれますw
でも嫌われるので、話しませんw
みなさんも気を付けてくださいね。
では、どんどん行きましょうか!
こんなことしてませんか?『まじウゼー教師あるあるー』
まあ、分かりやすいようにタイトルを『教師』としましたが、結局のところ『人としてどうなの?』って話に行きつきます。
なので『教師』の部分を『上司』や『先輩』『親』などに置き換えて、読み進めてもらって問題ありません。
また、是非『自分』もしていないかという確認の意味も込めて、自身に置き換えて、読んでみても面白いんじゃないかと思います。
不潔
これは嫌ですねw
- やたらフケが落ちる
- 顔全体が脂ぎっている
- くさい etc…
でも、すべて努力すれば、改善できるものです。
また、臭いは要注意ですよ。特に男性ね。
口臭、体臭、たばこ…
私も多分に漏れず、くさいですからw
実家に住んでいる時には、家に帰ると、姉から
『くさい!先に風呂入って!』
と、よく言われましたw
それが習慣となり、今でも外から帰ると風呂場に直行していますw
友人が来ていようが、お構いなしにw
『年齢には敵わない』とあきらめずケアしましょう。
食生活の改善など、きちんとケアすれば、ほとんどが軽減できます。
私の友人である太ちゃんは、何をしても口臭が改善されず、最終的にオーラルケア液を飲んでましたからw
『もう胃から洗わなアカンわ!』
らしいですw
決して、マネはしないでくだいよ。彼は、特殊な訓練を受けています。
意味のないルールを押し付ける
教師というか、学校のルールなんでしょうが…
- なぞの『5分前行動』
- 学校指定のバックで登校
- 携帯電話の持参禁止 etc…
挙げればキリがないですね。
5分前には教室に入りましょう。くらいの話なまだ分かるんですが…
『自席に座って、姿勢を正し、先生を迎え入れる体制を整える』
という、なぞのルール…
社会人で朝からそんなことしてる人いないですよね?
私、このルールに疑問をもって、そんなに5分前というならと、終業5分前にタイムカードのところに並んでやりました。
しっかり怒られましたw
バックもありがちですね。
特に、学校名が入っているバックを提供している学校に多いルールですね。
単純に、宣伝になるから持たせたいのでしょうが…
指定バックを持って登校しないと激ギレされるという理不尽さw
学校に置いてたら、何にも持っていかなくてもええ日あるやろ。
携帯電話については、もう時代錯誤も甚だしいですね。
まあ、学校のルールなので、教師にとってもツラいところではありますが…
結局は、言い方なんですよ。
『なんでダメなんですか?』
と生徒に聞かれたときに、明確な理由が答えられないことをルールにしてはいけないんです。
それを…
『ルールだから』
『決まりだから』
『昔からそういことになっている』
そんな風に答えてたら、そりゃ教師は嫌われますね。
頭ごなしにってやつですね。
理由すら説明できないルールを守らなかったことで、激ギレされたら、たまったもんじゃないですよ。
エラそう
耳が痛いです。
これね。
意外と気付いていない人もいますよ。
- 意味わかる?といった馬鹿にするような発言
- 何かにつけて、自慢話をくっつける
- 言葉がキツい
特に気付かないうちに、やってしまっているのが馬鹿にするような発言です。
『言ってる意味わかる?』って、言ってないですか?
理解度を確認したい場合や説明にわかりにくい箇所がなかったか確認したくて聞いてるつもりが…
馬鹿にされたと思っている生徒も少なくないです。
まあ、よく考えたらそうですよね。。。
自慢話もウザいですよね。
過去の事例を話しているつもりが、いつの間にか自慢話になってしまっているのはベテランに多い失敗です。
言葉がキツいに関しては、耳が痛いですねw
暴言は絶対にダメですよ。
でも、方言はなかなか直らないですね。
私の地元は『播州弁』といって、日本一汚い言葉として、たびたびテレビなどでも紹介されますw
かなり気を付けて、ようやく皆さんが聞いたことのある関西弁になります。
それでも、関西弁に慣れていない人からするとキツいと感じてしまいますよね。
播州弁は、普通の会話が怒ってるように聞こえるんですって。
広東語みたいなもんか。
すみません。
私、怒ってませんw
生徒に厳しく、自分に甘い
これはアカン。
生徒に求めることは、教師自身が手本とならなければなりません。
- 生徒には時間に厳しいが、自分は平気で授業に遅れてくる
- 生徒には謝罪と感謝にうるさいが、自分は謝罪も感謝の言葉も発しない
- 生徒にやらせて、自分はしない
授業に遅れる教師っていますよねw
そして、チャイムが鳴っても授業がキリのいいとこまで進まないと終わらない教師も。
『あんたの計画性のなさが生んだ、アディショナルタイムなんやねん!』
と言いたくなりますw
『ありがとう』『ごめんなさい』が言えない教師も多いです。
謝ったら負けやみたいなw
これは、本当に許せないので、もう少し解説しておきます。
なぜ教師に『ありがとう』『ごめんなさい』が言えない人がいるか。
それは、『教師』と『生徒』という縦軸の関係でしか考えていないからです。
教師である前に『人』です。
同じく、生徒である前に『人』です。
『人と人は対等でないとならない』という感覚が、欠如してしまってる人が、縦軸の関係でしかモノを見ることができません。
縦軸の関係とは、誉めるや叱るなどの『評価する側』と『評価される側』ということです。
横軸の関係は、友達やクラスメイトなどを指します。
この関係では、簡単に『ありがとう』『ごめんなさい』の言葉が出るんですよ。
教師は、教師である前にひとりの人であることを自覚し、縦軸と横軸、ときにはナナメから物事を観察し、対応しなければ『人』として、嫌われてしまうということです。
えこひいきをする
んー。
だめですね。
学力が高い生徒ばっかり可愛がるみたいなやつですよね。
『えこひいき』『差別』『公平でない』
全部だめです。
ありがちな失敗としては…
『クラスの中でも成績や学校生活の態度が良い生徒』
『クラスの名でも成績や学校生活の態度が悪い生徒』
この2点に、どうしても目が行きがちです。
でも、本当に目を向けるべき生徒は、その他大勢の、良くも悪くもない『普通の生徒』です。
私は、教育において、
『結果は平等に与えられるべき』
だと思っています。
40人生徒がいれば、40通りの能力差があります。
当然ですが、生徒によって、理解力も違えば、器用さも異なります。
それでも、同じ学費を払い、同じ時間を過ごしたならば、与えられる結果も平等にしなければ、教育のプロフェッショナルとは言えません。
どんな生徒でも、入学させた以上、一定の結果を提供することが、教師の引いては学校の責務です。
だからこそ…
『教育方法は、平等ではありません』
もともと能力の違う生徒を、全く同じ教育にはめ込んで、育てることには無理があります。
重要なことは、教え方が平等であるかではなく、結果が平等であるかです。
『ひいき』や『公平』などの話をすると、すべて『平等』にしなければならないと、勘違いする教師が多いです。
また保護者の方にも勘違いされている方が極稀にいらっしゃいます。
『なぜ、ウチの子だけが放課後に残されてレッスンしないといけないんでしょう?』
『平等な結果を提供するためです。』
と答えて、納得されない保護者はいらっしゃいません。
重要なことは、結果です。
今日は、ここまで。
書こうと思えば、永遠に書けそうなのでw
この辺でやめておきます。
でも、やっぱり嫌われる人って、『人としてどうか』ですね。
きっと、生徒に嫌われている人は、周りの大人からも嫌われているということです。
明日は我が身。
気を付けましょう。
では、ばいちゃ。
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