レインボーフラッグは、なぜ『6色』なのか?

LGBTQ+
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先日、仕事で東京に向かったついでに、幼馴染の『ゆたちゃん』に久々に会ってきました。

彼は、売れないお笑い芸人ですが…数年前に結婚し、4歳になったばかりの息子がいます。

この息子の『べしゃり』が凄いのよw

子供の頃の『ゆたちゃん』を見ているようでw

4歳とは思えない『べしゃり』は、私との掛け合いも難なくこなすというw

『ボケ』も『ツッコミ』もやってのけるわけですw

血筋って…怖いねw

その息子と話しているときに『虹』の話になったんですね。

私『虹って、何色あるか知ってるん?』

子『7色だよ。』

私『おぉ。よう知ってるやん!じゃあ、なに色がある?』

子『赤・オレンジ・黄色・黄緑・緑・青・紫!』

私『・・・そうなん?w』

母『黄緑じゃないんだよなー。青色に近い色だよ。』

子『あぁ。藍色か!』

このレベルの高い会話…なんやねんw

私は、6色しか出てこなかったんです。

この時に、ふと思ったんですよね。

『レインボーフラッグって…6色じゃね?』

なぜレインボーフラッグは『6色』なのか?

子供の頃から、当たり前のように『虹は7色』と刷り込まれている方が多いんじゃないかと思います。

かく言う、私もその一人なわけですがw

じゃあ、なんでレインボーフラッグは『6色』なんや?

そんな風に考え出すと…調べずにはいられないのが私の性ですw

『レインボー』の配色は、地域や時代によって違う!

まず『地域によって、虹の配色数に違いがあるんじゃないの?』ってことで調べてみました。

日本から調べてみましたが…どうやら時代によっても違ったみたいです。

江戸末期に蘭学が入るまでは、5色の配色だったようですね。

沖縄では…なんと2色(赤&黒)という説も!

暖色と寒色でザックリ分けたんでしょうかw

蘭学によって、日本は現在の『7色』になったようです。

地域ごとに見てみるとこんな感じです。

【8色】アフリカ アル部族
【7色】日本・オランダ・韓国
【6色】アメリカ・イギリス
【5色】フランス・ドイツ・メキシコ・中国
【4色】ロシア・東南アジア

結構、違うものなんですね。

部族によっては、『3色』や『2色』という地域もあるようです。

レインボーフラッグを発案した方は、アメリカのアーティスト『ギルバート・ベイカー』さんです。

なるほど!

アメリカの方だから『6色』なのね!

というのは…少々、早合点です。

そんな、私のような浅はかな考えであるバズもなく…w

本当のレインボーフラッグは『8色』だった⁉

私が生まれる少し前。

1978年に、たった2本のレインボーフラッグをギルバート・ベイカー氏が掲げました。

2016年に、ベイカー氏本人が、当時を振り返って受け答えをしているインタビューがありましたので少しご紹介します。

このフラッグは、サンフランシスコで行われた『ゲイ・フリーダム・デイ・パレード』で、新たなシンボルとして掲げるために、手染めした『8色』のフラッグでした。

【  ピンク  】sexuality / セクシャリティ
【   赤   】life / 生命
【   橙   】healing / 癒し
【   黄   】sunlight / 太陽
【   緑   】nature / 自然
【 ターコイズ 】magic,art / 魔術,芸術
【   藍   】serenity,harmony / 平穏,調和
【   紫   】spirit / 精神

いや~。

虹の配色だろうと考えてた自分が恥ずかしいですね。。。

ベイカー氏は『8色』それぞれにそれぞれの意味を込めて作成したんです。

そして、この新たなシンボルである『レインボーフラッグ』は急速に受け入れられ、自分も掲げたいと願い出る者が多く出ました。

さすがに、手染めで大量生産は出来ないと考え、業者に作成を依頼することになったわけですが…

あまりにも発注が入ったため、大量生産するには『8色』だと布が足りないという事態にw

マジかよ。。。

凄すぎるやろw

しかたなく、商業用として『6色』のレインボーフラッグになり、今日に至るまで多くのレインボーフラッグが『6色』で制作されてきたというわけです。

ベイカー氏は、本当は『8色』のレインボーフラッグを作りたかったと仰っています。

そして、初めてレインボーフラッグが発表されてから、25年後『ゲイ・プライド』にてそれは実現されています。

彼が『ゲイ解放運動』に取り組み、レインボーフラッグという新たなシンボルを掲げたことで、レズビアンがバイセクシャルが声を上げ、トランスジェンダーが受け入れられた。

LGBTの原点とも言うべき世の中の流れを作ることに、少なくとも彼は当事者として関わっていたということでしょう。

彼は、インタビューの最後に『死ぬまで活動を続ける』と言い残しています。

そして、その翌年、2017年に亡くなられました。

彼が、亡くなっても。

彼の意思を継ぐ者が、世界中にいます。

ウガンダで掲げられたレインボーフラッグのように、言葉の通り『命を賭して』レインボーフラッグを掲げる人たちもいます。

『LGBT』や『アライ』なんて言葉がこの世から無くなる日が来ることを願いながら。。。

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