【塩留め】 1568年『甲相駿三国同盟』を武田信玄が破棄したことに 今川氏真と北条氏康が怒り、甲斐国に塩を販売することを 禁止した。
これが、そもそもの始まりですね。
織田信長が今川義元を桶狭間の戦いで討ちとり、家督を氏真が継ぐと一気に勢力を落とした。それを見た武田信玄が三国同盟を破棄して、今川討伐に出向いたことによって起こった食料制裁ですね。
当時、塩は非常に貴重でした。
人が生きていくために、塩が必要であることは言うまでもありませんが、食料を塩漬けにして保存しておくためにも必要だったんです。
戦になれば、塩漬けした食料を持参するわけです。
たかが塩だと思うかもしれませんが、戦国時代において塩を止められるということは、兵糧攻めに等しかったわけですね。
今日は、戦国時代の美談とされる『敵に塩を送る』について考えてみたいと思います。
『敵に塩を送る』ってなんだ?
冒頭でお話したように、三国同盟を破棄した武田信玄は、制裁として米穀や塩を売ってもらえなくなってしまいます。
甲斐国には、海がなく塩を手に入れるには、他国から買うしかなかったんですね。
この窮地を救ったのが、武田と川中島でしのぎを削っていた上杉謙信です。
塩止めをされた武田があまりにも可哀そうだということで、上杉が商人に日本海産の塩を送らせたというものです。
ライバルが窮地に立たされているところを救ったことで、美談として語り継がれているというわけです。
この話はホント?史実は如何に!
初めに申し上げておくと、史実なんてものは、この世に存在しないと私は思っています。
いつの時代も、情報は操作されているものだし、自伝的なものには大抵脚色がなされています。
そりゃそうですよね。
『日本書紀』だって、天武天皇が天皇家の足跡を書かせたものなんだから、天皇家主観の書物になるのは当然です。
歴史の教科書だって、間違っていたことは沢山あるわけで。。。
史実なんて、今となっては誰も分からないんです。
研究が進み、定説が覆されることは、たびたび起こります。
でも、さらに研究が進めば、定説を覆した新説も、覆される事態になるわけです。
史実なんてものは、今となっては分からないし、この世に存在しないのと同じことだと思うんですよね。
それでも、私のような歴史マニアは新説が出るたびにワクワクが止まらないわけですがwww
史実とされるものと物語を混同してしまうことも多いですよね。
『敵に塩を送る』この逸話だって、武田信玄と上杉謙信が戦っている最中に、塩を送ったと思っている人も少なくありません。
幕末のヒーロー、坂本龍馬だってそうですよ。
龍馬は千葉道場で剣術を学び、北辰一刀流の大目録皆伝を授けられ、剣豪であるイメージを持っている方もいらっしゃいます。
でも実際には、薙刀の目録しか見つかっていません。
これは、龍馬好きが必ず通る、司馬遼太郎作『竜馬がゆく』からのイメージが強いのだと思います。
まぁ、このように事実は一つしかありませんが、真実は一人ひとりが持っているということです。
ビジネスマン『上杉謙信』
上杉謙信といえば、武勇で名を馳せた武将ですが…
実は、ビジネスにおいても非常に優秀だと言われています。
上杉謙信は、生涯において2万7000両もの財産を築きました。
現在の価値に換算すると、1両が13万円ほどですから…
35億円を超えますねw
上杉家は、佐渡金山が有名ですが、これは景勝の時代からですから関係ありません。
関税や物販で35憶円稼ぎ出したというわけです。
歌舞伎界の1憶円プレーヤーとされる『千両役者』を優に越えていたわけですね。
敵方武田へ『タダで塩を送る必要があるか?』
ビジネスマン『上杉謙信』を考えると、窮地に追い込まれた敵を易々と助けるわけないでしょw
『送った』というのは『売った』ということだという説もあります。
恐らく、売ってますよw
しかも、上杉謙信ほどのビジネスマン。
相場よりもめちゃくちゃ高く設定したはずですw
こうなると…美談ではなくなってきますね。。。
義を貫いたとされる謙信ですが…戦国時代に本当に義を貫いていたとしたら、上杉家は早々に潰れていたはずです。
武田が塩止めされていると知った上杉は、抱えの商人に『塩止めはせず、いつもと同じように流通させるように』と言ったとされますが…
これも上杉サイドが記した書物に書かれていることです。
なにが事実かは分かりませんが、私の中の真実は…
『謙信は、信玄の窮地を利用し、足元を見て、高値で塩を販売した。』
これじゃないかと思います。
それでも、歴史マニアとしては、ロマンあふれる逸話は逸話として後世に残していきたいとも思いますね。
今日は、ここまで。
では。
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