戦国最強の武田騎馬軍が、ポニーで出陣して何が悪い?

歴史探訪
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私の友人のHIROは…自前の法螺貝を持っている。

戦国時代、出陣の際に吹く、あの法螺貝である。

そして、生徒を鼓舞する時、彼はそれを吹くのだ!

かなり良い音を響かせるのだが…彼があのようなものを吹けるはずもなく…

必死で音色に似せた声を出しているのは、トップシークレットである。

彼こそが、本当のホラフキである笑

さて、私、何を隠そう、日本の歴史が大好きなんです。

その分、世界史はからっきしダメなんですが…

今回は、息抜き程度にw歴史の話でもしてみようと思うw

歴史の話といっても、私が教科書通りの話をするわけもなくw

細かい話は抜きにして、感じたことをありのままに書いてみたいと思います。

まぁ、歴史なんて嘘ばっかりですからw

諸説ありって、数学では絶対に起こらないでしょ笑

だからこそ、歴史にはロマンがあると思うんですよね。

空想世界に入り込むのが大好きな男がハマるのもわかりますよ。

数年前から歴女なんて言葉も出てきましたから、女性の方でも歴史好きは多いんでしょうね。

考察していると時間は、あっという間に経っていますからw

今日は、戦国武将が乗っていた愛馬についてのお話です。

戦国武将が跨っていた馬ってどんなの?

みなさん。戦国武将が跨っていた馬って、どんなイメージですか?

大河ドラマとかを見ると、競走馬のような体格の良いサラブレッドに跨っていますよね。

身長が高いスラっとした俳優さんが、巧みに乗馬している姿が目に浮かびます。

ただですよ。

何十Kgもする甲冑を身に付けた屈強な男を乗せて戦に出るわけですよ。

サラブレットじゃ無理じゃないですかねw

すぐ骨折れるんちゃいます?

日本の在来種は、サラブレッドのように大きくないんですよね。

有名なのは、長野県に産地がある木曽馬だそうです。

この木曽馬の体高は、だいたい130㎝ほどです。

対して、サラブレッドの体高が170㎝ほどですから、在来種の馬は、かなり小柄ですよね。。。

ではあの戦国時代に、外来種であるサラブレットは存在したのでしょうか?

結論から言うと、輸入されていたとは思います。

ただ、現代におけるサラブレッドというよりは、軍馬として交配された大型馬でしょう。

織田信長が南蛮好きであることは、なんとなく皆さんも知っていると思います。

襟付きの洋服やマントをしているイメージないですか?

キリストの布教活動も許してましたし、祭りの行列には、宣教師や黒人も参加させてたくらいですから。

南蛮貿易により、外国の馬が日本に入ってきていたとしても、おかしくないと思います。

ウソかホントか、伊達政宗は、ペルシャ馬を輸入して、在来馬と交配させて、日本特有の軍馬にできないか改良していたようですしね。

大型でありながら、足が短く、運搬に適している頑丈な軍馬を作りたかったのかも知れませんね。

まあ、それでも頭数は限られていたと思います。

甲斐の国、戦国最強騎馬軍団はポニーに跨って出陣した?

そういえば、武田信玄は信濃も統治していますよね。

信濃は長野県です。。。

ということは、武田騎馬隊も木曽馬に跨っていた可能性は高いですよね。

武田騎馬隊がポニーに跨ってるって…

ちょっと弱そうじゃないですか?w

でも、まあ。

当時の日本人の身長が、160㎝ほどと考えると…

大河ドラマなんかで、スラっとした俳優が跨ってる構図を縮小したようにも思えるので…

それなりに迫力はあったと思いますよw

そうじゃないと…歴史ファンとしては…ちょっとね笑

それに、先ほども申し上げたように、軍馬は足が短く、力強いほうが良いとされてきました。

ポニーって言うから、なんかなぁー。ってなるだけですw

秀吉の中国大返しは可能なのか?

戦国武将が跨った馬も、木曽馬がもっとも多かったようです。

この木曽馬、人を乗せて走った場合の速さは、時速30Kmほどだそうです。

チャリンコの立ち漕ぎくらいですかねw

そして、全速力で走るのは10分が限界ということです。

これ…たった10分かよって意見もあるようですが…

あなた、10分走れます?

全速力ですよ!

ダッシュ!

無理やしw

そう考えたら、かなり木曽馬は優秀ですよね。

甲冑を身に纏った、屈強な男を背負って、10分ダッシュですからね。

さて、秀吉の中国大返しは可能なんでしょうか?

中国大返しは、岡山県あたりで戦っていた秀吉が、本能寺の変を知り、毛利と和議を結び、明智光秀を討つべく、京都まで引き返したスピードがあまりにも速かったのでつけられた名前です。

本能寺の変が起こってから、わずか11日間で明智光秀を山崎の戦いで討っています。(3日天下じゃないですよw)

信長が討たれたことをどうやって知ったのかも謎ですが…

本能寺の変から2日後には、信長の自害を知り、勝利目前にも関わらず、毛利家と和平交渉を開始しています。

4日後には、高松を出発して、姫路、明石、兵庫、尼崎と移動し、京都で光秀を討つまで230Kmを約1週間で移動していますね。

1日にして、35㎞も移動できれば可能です。

行軍は無理でしょうが、馬に乗っている部隊だけなら可能な日程かもしれませんね。

また各地で馬を乗り換えながら進めばスピードも更に上がるかもしれません。

それにしても、信長の死を2日でどうやって知ったのかという謎は残りますが…

そんなことから、秀吉共犯説も流れるくらいですからw

信長に謀反を起こすことを、事前に知っていた秀吉が、信長と光秀が同時に世から消えれば天下が近づくと考えたのでしょうか。

まさに歴史はロマンと感じざるを得ない話ですね。

あの名馬は?戦国時代に大きな軍馬はいなかったのか?

歴史ファンやマンガファンにも人気の高い、花の慶次。

前田慶次郎(利益)の愛馬、松風はかなり屈強な馬体が描かれています。

実際は、というと…

松風:4尺7寸(142㎝)

やっぱりサラブレッドに比べると小さいですね…

でもですよ。

あなたは、戦国時代で一番大きかったとされている馬を知っていますか?

あくまでも私が知る限りの一番なのでwもし他にも大きい軍馬を知っている方は是非コメント欄でフォローをお願いします。

私が知る限り、戦国時代で一番大きかった馬は…

わが熊本が誇る、『せいしょこさん』こと、加藤清正公の愛馬、帝釈栗毛だったんじゃないかと思います。

その大きさ、なんと!

帝釈栗毛:6尺3寸(190㎝)

これは、バケモンや。

もうサラブレッドよりデカいやんw

ちなみに、せいしょこさん自身の身長も6尺3寸ですw

さすが清正公。

今の時代でも190㎝はデカいですよ。

もし令和の時代に生まれていたなら、モデル業でもしてたでしょうか。

なにはともあれ、戦国武将が跨っていた馬は、ドラマで見るサラブレッドのような馬は少なかったかも知れませんが、中には大きな馬もいたということです。

時代劇で出てくる馬がポニーやったら、なんか嫌やしw

平均身長の移り変わりを考えたら、スケールはそんなに違わないと思うので…何も考えずに楽しみましょう笑

今日はここまで。

え?

信長や秀吉は、フランクに呼んでるのに…

なんで、加藤清正だけは、清正『公』なのかって?

それはですね。

熊本に住み始めた頃に言われたんです。

大好きな友人のヒロエさんに。

『熊本に本気で住むなら、清正公と呼びなさい。呼び捨てはイカンです』

そこから、素直に『きよまさこう』と呼んじょりますw

では、ばいなら。

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