『教育とは…何か。』

教育
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夢を見た。

それは、私が27歳の頃。

なんとなく…教育がなんたるかが分かってきたと、思い上がっている頃に、実際に起こった光景を、10年以上の時を経て、夢に見たのだ。

当時、私は担任5年目くらいに突入していた頃だ。

若さもあり、勢いと経験を武器に、無双状態といっても良いくらいの成績の残していた。

生徒たちも毎日を充実して過ごしてくれていると手応えを感じ、私はちょっと調子に乗っていたように思う。

そんな頃、当時の教育部門のトップである大先輩と話をする機会があった。

彼は、私より20歳ほど年上の大先輩で、今でも尊敬して止まない方である。

その頃は、2人で話をする機会など、一担任の私にあるはずもなく、自分でも随分と緊張していたのを覚えている。

なんなら10年以上経った、夢の中でも、27歳の私は緊張していたくらいだw

『おい。教育って…何や?』

これが、彼が私に対しての第一声だった。

『自分の知識や、経験を余すことなく生徒に伝えることです。』

27歳の私は、こう答えた。

すると…

『ふっ……』

と鼻で笑われたのである。

まだまだ若いなと言わんばかりの雰囲気に、なんだか恥ずかしさを覚え、知りたいと強く感じたのを覚えている。

そして、私は思い切って聞いてみた。

『教育とは…何ですか?』と。

彼の返答は…

『しらん。』

知らんのかいっ!と、私にツッコめるはずもなく…

ぽかんとしている私を尻目に、彼は…

『一つだけヒントをやる。お前が言う、教育は、教育のようで教育やない。その考え方やったら、お前を超える生徒は生まれない。』

続けて…

『教育とは…何なのか。これからも探し続けなアカンぞ。』

そう言い残し、彼は去っていった。

・・・・・・・・・・

・・・・・・・

・・・

夢から醒めた私は、なんだか不思議な感覚になっていた。

10年以上も前の、大先輩との会話が…なぜ今このタイミングで夢に見たのか。

何かのメッセージだろうかと考えながら…未だ問われ続けている

『教育とは…何か。』

についても同時に考えていた。

今の私なら、どう答えるだろうと。

そして…考えながら…いつの間にか…また眠りについていた。

そう。

ただの2度寝だw

実は、27歳の頃に、私が彼に間違っていると言われた課題は、既に解けている。

なんてことはない。

彼が与えてくれたヒントがすべてだった。

私の伝えるという行為は、過去のものをただただ教えたに過ぎない。

教科書やマニュアルに載っていることを、ただただ分かりやすく伝えただけなのだ。

当然、分かりやすいのだから、生徒の成績は伸びた。

しかし、それを学んだところで、新たなアイデアや発想は生まれるはずもなく、創造する人材を輩出するなど夢のまた夢だ。

数年後、彼が私の直属の上司になった時に、その答え合わせすることができた。

答えを教えて欲しいと言ったわけではないが、彼の仕事への生き方、考え方に触れるうちに理解することが出来たのだ。

『子供に釣ってきた魚を与えるか。それとも魚の釣り方を教えてやるか。』

この違いである。

魚を与えれば、美味しく食べることは出来るが、また欲しくなった時、誰かに魚を貰わなければ、魚を食べることが出来ない子供に育ってしまう。

27歳の私は、自身の知識や技術を与えていただけなのである。

そうすると、誰かに知識や技術を教えてもらわなければ、学べない子供を育ててしまうのだ。

それよりも、どのようにして知識を得たのか。技術をものにしたのか。

それを教え、自身で考えさせることが重要であると教えてくれたのだ。

考えさせる授業とは、このことを指しているのだと思う。

しかし…最大の問いかけに対しての、答えはまだ見つかっていない。

『教育とは…何か。』

数多の教育者や思想家、哲学者が、様々な『教育とは…』という言葉を残している。

それは、どれも正しいのだろう。

結局のところ、自分自身で見つけ出さなければならないものなのだ。

『教育とは…何か?』

この解を探すことが生きがいとなり、後世へ紡いでいくことが出来れば、教育に携わった者としては、本望である。

私の旅路は、まだまだ長く長く続きそうだ。

彼が定年を迎えた頃に、答えは見つかったのか、聞いてみたい……

きっと、彼は照れを隠しながら、それでも清々しい顔で、私に言うだろう。

『しらん。自分で見つけぇ。』

今日は、そんな夢のお話。

では。

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